知る・学ぶ 安浦町の文化・歴史など

野路神社 「野路 野呂山地区」

野路神社
現在は屋根が壊れ
シートがしてある 野路神社 野路神社
上2枚は勧農坂にあった頃の
神社跡地
野路神社

文政十一年(1828),割庄屋の宮尾彦五郎と佐々木雄平らが野呂山開拓の開地を広島藩より免状を受けた。それから次々と入植者が野呂山の勧農坂で開拓し,天保四年(1833)には,約200戸に増え一村の形態を備えるようになったので,天保五年(1834)に野呂山勧農坂の紅葉カ畝に鎮守として造営した。ところが,天保7年(1836)の凶作と疫病によって入植者が激減し,耕作地の維持が困難となった。この地は交通不便な地であったため,昭和の開拓も大重岩付近の野呂高原一帯が選ばれ,勧農坂は荒廃していった。この地にあった当神社も参拝に不便であったので,昭和38年に一本杉近くの現在地に移設された。

祭神 稚産霊神(わかむすびのかみ)・他6神
所在地 広島県呉市川尻町板休
電話番号 なし
アクセス

JR呉線安芸川尻駅から車で約30分

(さざなみスカイライン経由)
関連ページ 野呂山開拓跡「勧農坂・立小路」
地図は表示できませんでした。
下の大きな地図で見るをクリックしてください。
大きな地図でみる