知る・学ぶ 安浦町の文化・歴史など

猪鹿垣(ししがき)

猪鹿垣

【猪鹿垣の概要】

安浦の内平・原畑地区は,西に野呂山を背負い,東南も小山に囲まれた緩やかな傾斜地で昔から猪と鹿の被害に悩まされ続けてきた地域でした。

被害に難渋した村人は浦部組17ヶ村より工事費調達の協力を受け,村を取り囲むように石塁(垣)を作りました。

石塁の長さは40町(4.4㎞),高さ5尺(1.5m)の猪鹿垣を作り,所々に落とし穴を設けています。文化9年(1812年)から 築調し,文化10年(1813年)3月に完成。規模は中国地方最大級と言われています。

完成を記した猪鹿垣の碑が一本杉の穀神社の境内に建っており,被害に悩まされた農民の喜びが短い言葉で碑面に彫り込まれています。広島県の県文化百選に選ばれています。

●場所:安浦町大字内平
●アクセス:安浦駅から内平へ車で約10分 徒歩20分

【内平の猪鹿垣】

 内平集落の入口に穀神社と一本杉の付近に「猪鹿垣碑」が建てられ,猪鹿垣を建設した功績が刻まれています。猪鹿垣ができた文化10年(1813)の内平村の戸数は45戸,184人でした。

小さな集落で,この大事業を1ヶ年にして完成させたと言われています。扇平山を頂点とした長さ40町(約4.3km)の工事を実際に1年かけてどのようにして完成したのか,これだけの石を山の急斜面でどう集め築いたのか謎もありますが,村の命運を懸けて,工事費は藩に納める年貢米のほぼ1年分になったと言われ,先人の苦労と努力の跡が偲ばれます。

また,文政8年(1825)広島藩が編さんした「芸藩通史」の絵図の中で,隣村の原畑とともに猪鹿垣が描かれており,非常に珍しいことである。

現在は,開墾されて田や畑になっていたり,長い年月で崩れ原野になっている箇所も多く,一部の猪鹿垣が見れる程度となっています。

【原畑の猪鹿垣】

場所は,野呂川から野呂山・山道門を経て内平の竹内山に結ばれ,内平の猪鹿垣と続く形で築かれていおり,規模も内平と同等と見られています。

また,芸藩通史の原畑村の絵図にも猪鹿垣が示されています。内平のような完成の石碑は特になく,現在は,原野になっている箇所が多い。

猪鹿垣
内平・原畑の猪鹿垣分布図
(クリックで拡大できます)

広島大学図書館の「学術情報リポジトリ」で猪鹿垣を調査した詳しい資料があります。

■タイトル
 「瀬戸内野呂山麓内平村の猪鹿垣について」
■本文リンク
 http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/metadb/up/kiyo/AN10113157/nk_sp03_3.pdf

現在の猪鹿垣の様子(以下の写真もクリックで拡大できます)

猪鹿垣
猪鹿垣
猪鹿垣
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