特集 NHK大河ドラマ『平清盛』海上ロケ
安浦近郊での清盛伝説
ここ安浦近辺にも平家伝説はたくさんありますが、その多くは壇ノ浦の敗戦以降のお話。
この特集では、清盛自身がかかわった伝説のみを紹介いたします。
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- 1 繁栄祈願!!宝積寺(川尻町) 1158年 清盛41歳
- 平治の乱前で、清盛の政治基盤が盤石でないころの事。
清盛が一門の繁栄を願い、三日三夜の参籠をしたという伝説が残る隣町、川尻町のお寺。平清盛直筆といわれる額が残っている。今でも参拝は可能です。 広島県呉市川尻町原山1-15-6
ご本尊の御開帳が今年(2012年)は特別に行われます。期間は3月17日~9月25日まで。
(お問合せ先 宝積寺Tel 0823-87-2196)
- 2 安産祈願!!耳なし地蔵(竹原市) 1178年 清盛61歳
- 全盛期の平氏、清盛は1168年頃厳島神社に立派な社殿を造営、よく通っていた。
清盛は娘・徳子の安産祈願のため厳島神社に向かったが、船旅の途中激しい風に逢い、胸騒ぎがした。安産を祈るため地蔵を彫らせるが、耳を完成させる前に徳子が元気な男の子(安徳天皇)を出産したため、地蔵をそのままの姿で祀った。その地蔵が竹原市忠海の辻地蔵似心堂にある「清水の耳なし地蔵」。現在も参拝することができます。忠海の地名は、清盛の父、忠盛の名前から来ています。 竹原市忠海4丁目7番付近 - 3 厳島詣での前にみそぎを行った!!馬島(安浦町) 1180年 清盛63歳
- 清盛死の前年。安徳天皇の祖父として実権を握るが、そろそろ、平氏討伐の動きが出るころ。
高倉上皇と清盛がが厳島神社への参詣の際,潮待ちにより,ここ安浦町の馬島でみそぎを行い仮泊したと云われている。その際御座船や警護の平家船団が島周辺を埋め尽くしたという。そう、安浦町は実際に清盛と関係があったのですね。現在定期船はなく、普段は島に渡ることはできません。
平成24年4月よりグリーンピアせとうちより海上遊覧船が運行されます、詳しくはこちら。